現団長によるマル秘エピソード集⑤ 「田中信昭先生とは、あんなことも・・・」
- shoko-p
- 2023年10月29日
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田中先生が合唱団みなまたを初めて指導されたのは、昭和61年「地球へのバラード」の中の「私が歌う理由」「沈黙の名」であったと思う。その後、幾度となく水俣を訪れ、いろいろな合唱曲をご指導いただいた。あの恐ろしい眼光に○○がちぢみ上がる思いをみんな忘れはしないだろう。しかし、世界的に有名な田中先生に、我々合唱団みなまたはいろいろな不始末をしでかした。
(その1)水俣を案内しているとき、水俣駅裏の山道で脱輪し、いっしょに車を抱え上げ
させた。
(その2)よかれと思い、カイロに案内したら、田中先生は脱力しまくって合唱の指導は
できないとのたまわれた。
(その3)何人かは、いっしょに温泉に入った。意外としまった体つきの田中先生で
あった。みんなを見回しながら、岩本先生に苦言を言われた。
(その4)奥さんとの馴れ初めを聞きだした挙句、その年の差婚に思わず後頭部を叩こう
とした者がいた。しかも「このエロ親父」と言いながら。
しかし、私たちの合唱が少しずつ幅広くなれたのは田中先生の教えによるものが大きかった。また田中先生のご指導を受けてみたいなあ。怖いもの見たさではありません。
(合唱団みなまた30周年記念祝賀会記念誌より)
御年95才! 今年も振っていらっしゃいらっしゃるのですね!

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