水俣の文化人シリーズ④石牟礼道子
- shoko-p
- 2月15日
- 読了時間: 3分
石牟礼道子 1927年、天草に生まれる.
3歳の時水俣へ。
水俣実務学校卒業後は代用教員として働き、退職、結婚。
主婦をする傍ら 短歌を書く。
同じく水俣出身の谷川雁と知り合い、谷川主催の「サークル村」に参加。
本格的に創作活動を始める。
処女作である「苦界浄土 わが水俣病」は絶賛され
第1回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞するも辞退。
アジアのノーベル賞とも言われるマグサイサイ賞など他多数受賞。
2018年没。90歳。
石牟礼さんの一生はこんなに簡単にまとめられるものではないと思いつつ、
水俣病患者さんたちとの出会いや、ご自身の壮絶だったであろう人生を
勉強不足の私が語れるはずもなく、
そういうわけで、この先は、個人の私感(私観?私見?)を書いてまいります。
(「合唱団みなまた」のHPを私物化してますねー💦)
石牟礼さんの代表作である「苦海浄土 わが水俣病」を実は読んだことがありません。
しっかり向き合うべきだと思いつつ、怖いのです。ダメダメです。
絵本「みなまた 海の声」は読みました。石牟礼さんの文と丸木位里・俊夫妻の絵に
胸をえぐられつつも、何か救いを感じたのを覚えています。
合唱曲「しゅうりりえんえん」(荻久保和明作曲)にもなっているので縁の深い作品です。
しっかり読んだことがあるのは「あやとりの記」
これも荻久保和明先生の手により合唱曲になっており
私たちの合唱団も一曲ですが 取り上げた時に読みました。
勉強のつもりで読み始めたその本のページをめくるごとにその世界に没入していきました。
言葉の美しさ、鮮やかな情景描写、
この世とあの世の境の見えるもののと見えないものの世界、
「魂」が美しいとはこういうことなのだ、と つまりはとても感動したわけですが、
いわゆる「感動」なんていう安っぽい言葉では言い表せない、
何か心の、違う深い部分を揺り動かされた、他の読書ではなかなか得られない、
そんな体験をしました。
もう一作品、「椿の海の記」は当時の水俣が生き生きと描かれ、
素直に面白く読みました。
ノーベル文学賞に石牟礼道子こそふさわしい、と言う著名人もいたと聞きます。
私は文学に詳しいわけではありませんが
こんな文章を書ける人はめったにいるものではない、ということは
たった三作品しか読んだことのない私ににもわかります。
水俣病を書く作家 という括りで語られがちです。
でも、「十六夜橋」という作品では紫式部賞
「はにかみの国」という詩集では芸術選奨を受賞するなど
そうではない作品の評価も高いということを
実は水俣の人たちが知らない というのが歯がゆい。
2023年2月、水俣病を語り継ぐ会主催「早春の朗読発表会」で
合唱と朗読(主に石牟礼さんの作品)のコラボをさせていただきました。
朗読とうまくコラボできたかどうかは置いといて、
石牟礼さんの豊かな言葉の世界を堪能出来てとても楽しかったのでしたが、
石牟礼作品に全く触れたことのない私の母が「面白かった」と言ってくれたのは
とても嬉しいことでした。(使われた作品は「食べごしらえおままごと」など)
おそらく、皆さん、食わず嫌いなのだと思います。
皮肉なことに 素晴らしい芸術作品は
どん底の、地獄のような体験やそれを見聞きしたことから生まれたりします。
石牟礼さんのそれも 出発点は確かにそうかもしれませんが、
それだけではないことも知ってほしいと思っています。

※私の別ブログに水俣の文化人10人ほどについて書いた「水俣の偉人」シリーズがあり、
それをコピペして少々の直しを加えて再投稿しています。
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