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水俣の文化人シリーズ⑥江口寿史

  • 執筆者の写真: shoko-p
    shoko-p
  • 2月27日
  • 読了時間: 3分

さあ 今回は江口寿史先生!

現在はイラストレーターとしてのお仕事が主のようですが

言わずと知れた 漫画家でいらっしゃいます。


1956年3月29日生まれ。

第2小学校卒業後 第2中学校入学、3年生になる前にお父さんの転勤で千葉へ。


小学3年頃から 漫画を描いていたそうです。

高校生の時は フォーク(特に吉田拓郎)に夢中になり、

漫画を描かない時期もありましたが、

ギターが上手にならなかったのであきらめたのだとか。

一浪後、 デザインスクールに入りながらも

まったく行かず 映画と読書とパチンコの生活を送る中、

病気で手術し その時、漫画家になることを強く決意しました。


1977年には ジャンプデビュー。

「すすめパイレーツ」の連載が始めります。

当時、スポ根ものばかりだった野球マンガの中で

これは野球ギャグマンガの先駆的作品となりました。

1981年には 最大のヒット作である

「ストップ!!ひばりくん!」が連載を開始します。


・・が  江口さん=遅筆 で有名なんですよね。

絵は ますます洗練されていくのですが、

マンガの中にも登場する「白いわに」、これは 「真っ白な原稿」を意味し

いわゆる「原稿落ち」も度々あり、

マンガ家に厳しいことで有名な あのジャンプが

江口さんに対して破格の待遇をしていたことがよくわかります。


約2年強の連載期間に全49話、つまり 1年分にもなりません。

そうして「ストップ!!ひばりくん!」は 未完に終わりますが

2010年、「ストップ!!ひばりくん!コンプリート・エディション」

                (小学館クリエイティブ版 全3巻)

として 27年越しに完結いたしました!


その後は 作品発表の場を他に移して始めた「江口寿史の日の丸劇場」の連載。

この作品によって 以降の江口マンガの主流となる

〈一話完結のショートギャグ〉というスタイルを確立させます。

それでも やはり未完作品はいくつか生まれてしまったようですが。

今 江口さんがイラストレーターとして活躍されているおかげで

とてもステキな水俣観光PRポスターが何枚も生まれ、

2021年には水俣の観光大使に就任。


ちなみに、私が 「ストップひばりくん」と出会ったのは短大の時。

友達が貸してくれて すぐ夢中になりました。

その時は 水俣出身の方とはつゆ知らず、

でも 主人公の耕作君が時々話す「九州弁」が

「九州は九州でも 水俣弁に近いような?」と思っていたのです!

そうしたら、やっぱり そぎゃんでした!

「すすめ パイレーツ」も笑わせてもらいました~。

我が家には 実家から持ってきた「ひばりくん」の

ジャンプコミックス全3巻と

「パイレーツ」は なぜか飛び飛びに6冊ほどございます。

もう一枚をプラスした6枚組セットが「ふるさと納税」で購入できます。



※私の別ブログに水俣の文化人について書いた「水俣の偉人」シリーズがあり、

それをコピペして少々の直しを加えて再投稿しています。

 
 
 

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